2024.03.28

2歳の娘が知的障がいであると診断「どん底に突き落とされた」泣いてばかりだった日々がどう変わっていったか

山田火砂子さんは、30代で出産した長女が2歳の時に、知的障がいがあることがわかり、「どん底に突き落とされました」と振り返ります。泣いてばかりの日々を経て、開き直って生きようと決めてからの人生は、どのように変わったのでしょうか。

 

2歳の頃に知的障がいがあると診断

美樹さんが生まれたのは1963年。山田さんは将来を明るく夢見ていました。しかし、美樹さんが1歳になっても立つことができず、2歳の頃に知的障がいがあると診断されました。山田さんはその時、自分が「勉強もしないで威張りくさって天狗になっていた」と気づいたと述べます。

その後、山田さんは40代で映画プロデューサーに転身し、70代で実写監督デビューを果たしました。現在92歳の山田さんは、精力的に映画制作を続けており、2024年2月には新作『わたしのかあさん―天使の詩―』を完成させました。

山田火砂子さんが手がけた映画には、障がい児教育や福祉に関するものが多数あり、その背景には長女美樹さんの存在があります。彼女の人生は娘の誕生とともに一変し、その経験が彼女の映画作品に深く刻まれています。

 

福祉制度が整っておらず、障がい基礎年金制度もない時代

「国は助けてくれないし、医者代も取られる。母親が子どもを抱えて海に飛び込むというような事件がたくさんあった。障がいがある人はその頃は勤めるところがないし、食べることもできないから、のたれ死にする人だっていた」

山田さんもしばらくは泣いてばかりの日々でした。「天まで泣いたよね」。電車に飛び込もうと思ったことさえあったといいます。でも、泣き疲れたころに「何が怖いのだろう」と考えると、娘の障がいを「恥ずかしい」と思っている自分に気づきました。「開き直って生きよう」。そう考え、少しずつ前を向けるようになっていきました。

当時流行していたミニスカートをはく

美樹さんが通い始めた養護学校へ送り迎えするとき、山田さんは当時流行していたミニスカートをはいていました。

まわりの母親たちは人に隠れるように目立たない格好をしていたが、山田さんには「まわりと違う子どもを生んだら何もしちゃいけないのか」との疑問がありました。友達から「なんで障がいのある子どもの親だけ昔風の格好してこなきゃいけないの。あんたがやらないと誰も着られないから、先頭切ってやってみなさいよ」とけしかけられたといいます。「ばかだから乗せられて。プールに行ったらおへそが見えるような水着を着た」と山田さんは振り返ります。

 

次第に周囲を変えていく

山田さんの行動が、次第に周囲を変えていきました。ある日、養護学校の先生から「あなたがここに来てから、お母さんたちのスカート丈がだんだん短くなってきた。良い傾向です」と言われたといいます。

しかし、あからさまな差別にはしばしば苦しめられました。ある時は、自宅の周囲には「バカ、バカ、ゴレス」と書かれていました。美樹さんが「1+1は5れす(です)」「1+3は5れす(です)」と答えると、それを嘲笑されたのです。

山田さんは黙ってはいませんでした。美樹さんを侮辱した子どもの母親に直接話しかけましたが、「うちの子じゃない」と否定され、小学校の校長にも会いに行きましたが、「学区域外です」と言われました。養護学校の母親たちにこの話をすると、「私の子だって、近所の公園に行けば中学生からも『おばけが来た』と言われるわ」と告げられました。

 

「共に生きる社会が欲しい」

「障がい児と健常児、分けることなく共に生きる社会が欲しい」と山田さんは願いました。彼女は自らの経験と読書から、障がい児福祉に関する考えを深めていきました。

ある日、宮城まり子さんが養護学校を講演で訪れました。歌手や俳優を経て肢体不自由児の養護施設「ねむの木学園」を設立した宮城さんの話を聞き、山田さんは「私も芸能界のはしくれで生きてきた人間。自分のできる方法で運動しよう」と考えました。

ただ、美樹さんと次女を育てながら仕事を続けるのは簡単ではありませんでした。上映会前に子ども2人を連れて電柱にポスターを張って歩いたり、広島ロケに子どもたちを連れていき、旅館で留守番をさせたり。

美樹さんはふらりといなくなってしまうことが多く、撮影用のトランシーバーを使って新宿の街中を探し回ったり、千葉まで夜中に迎えに行ったりもしました。「稼ぐのに追われて、必死になって働かなきゃいけなかった」という日々でした。

 

障がいのある俳優を積極的に起用

山田さんが60代で初めて監督をした作品は、娘たちと共に歩んだ半生を題材にしたアニメ映画『エンジェルがとんだ日』。その後の実写映画では、障がいのある俳優を積極的に起用してきました。特にダウン症の子どもは「役者に生まれてきた」と思うほど自然な演技をしてくれる、と話します。

2024年2月に完成した『わたしのかあさん―天使の詩―』(出演=寺島しのぶ、常盤貴子ほか)は、美樹さんが通った大塚養護学校(現・筑波大学附属大塚特別支援学校)の教員だった菊地澄子さんの書籍を映画化したものです。知的障がいのある両親の娘が葛藤しながら成長していく物語です。この映画にも、障がいのある人が多く出演しています。

透析治療を受けながら撮影を続けた山田さんは、週に3回通院し、4時間もの時間を透析治療に費やしていました。「撮影が終わったら疲れ果てちゃった」と振り返りますが、それでも完成後は日本各地での上映会に足を運びました。

 

長女の美樹さんは山田さんにとって「天使」

前作『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』は全国204カ所で上映され、ほとんどの場所で山田さんが舞台挨拶を行いました。『わたしのかあさん』の撮影が始まる前でも、1カ月のうちに北海道に2回、神戸、宮城を訪れました。透析治療を午前中に受け、午後に移動することもしばしばあり、事務所のスタッフも「本当に信じられない体力」と感心しています。

山田さんが各地を訪れるのは、少しでもお金を集め、映画製作の借金を返すためでもあります。彼女は常に金策のことを頭に置き、「死んだら派手に書きまくって、たくさん香典をもらいなさいと言ってるの」と笑っています。

長女の美樹さんは山田さんにとって「天使」です。今作では、美樹さんを育てる中で経験したエピソードが盛り込まれています。例えば、障がいのある母親の子ども時代の話として、雨の日に傘をさして親子で歩いていると、通り過ぎる車が勢いよく泥をはねあげ、娘の白いワンピースが汚れてしまいます。怒る母親に対し、娘が「ばかじゃないんです。おりこうなんです」と言う場面があります。

 

美樹ちゃんの存在が心をうるおす

実際に美樹さんは誰にでも親切で、山田さんは彼女を「天使」と表現しています。美樹さんが養護学校に通っていた頃は、帰宅するといつも事務所で過ごしていました。当時の社員はみな「美樹ちゃんが事務所に帰ってくるのが待ち遠しかった。イライラしているときに、美樹ちゃんの存在がどんなに心をうるおしてくれたか」と懐かしく思い出しています。

現在、美樹さんは施設で暮らしています。人を疑わず、誰かと比較することもない彼女との人生を歩んでいく中で、山田さんは考え方が変わってきました。「『うちの子はこんなにできるのよ』と優越感を持とうとしない限り、劣等感も生まれないのではないか」と。

 

現代を生きる女性たちへのメッセージ

次に撮りたいと考えているのは、明治から昭和にかけて生きた社会運動家、賀川ハルの物語です。強く生きた女性たちの姿を描き続けるのは、現代を生きる女性たちへのメッセージでもあります。

「『大根を買うならこちらの店のほうが安い』と走る人も多いけど、それだけにならないで。日本の平和とか、自分の行く道も考えてください」と山田さんは語ります。

山田さんは今も生まれ育った東京・新宿区内で一人暮らしをしています。外出時は車椅子を使いますが、普段はできるだけ自分の足で歩くようにしています。「最後は高いびきをかいて、いびきが止まって『おかしいな』と見に行ったら死んでたっていうのが極楽だよ。これがやりたいね」と山田さんは言います。

 

知的障がい:基本的理解と支援

知的障がいは、発達の障がいの一種で、個々の知能が通常よりも低いレベルにある状態を指します。この障がいには、認知能力、学習能力、日常生活のスキルの獲得が影響を受けます。

 

原因と種類

遺伝的要因、出生時の問題、母親の感染、事故や外傷、環境要因などさまざまな要因によって引き起こされ、軽度、中度、重度、深刻度の4つのレベルがあります。軽度の場合、日常生活の機能が低下しますが、重度の場合、基本的な自己ケアさえも困難になる場合があります。

 

症状

  • 言語やコミュニケーションの遅れ

言語発達が遅れることがあり、適切な言葉の使用や文の理解が困難になる場合があり、コミュニケーション能力の発達も遅れることがあります。適切な社会的な対話や非言語的なコミュニケーションの理解が難しいことがあります。

 

  • 学習困難

学習能力が低下し、新しい概念やスキルの獲得が難しい場合があります。また、理解力や記憶力が制限されることがあり、学校や仕事での適応が困難になる可能性があります。

 

  • 社会的な適応力の低下

社会的な相互作用や人間関係の構築が難しくなる場合があります。友情や共同作業の概念を理解しにくいことがあり、社会的な規範や行動規範への適切な遵守が難しくなることがあります。

 

これらの症状は、知的障がいの程度や個々の状況によって異なります。また、個々の症状には幅広いバリエーションがあり、それぞれの個人に異なる影響を与えます。支援者や専門家は、個々のニーズに応じて適切な支援プランを立てるために、これらの症状を詳細に理解する必要があります。

 

支援と治療

個々のニーズに合わせた教育プログラムや治療計画が必要です。特別支援学校や個別指導などのサービスが提供されます。

心理社会的な支援や専門家のカウンセリングも重要です。

 

社会的偏見と認識の向上

社会的な偏見や誤った認識によって、知的障がい者が孤立しやすくなることがあります。また、教育や啓発活動を通じて、理解と支援の向上を促進する必要があります。

まとめ

知的障がいは、個々のニーズや能力に応じた支援と理解が必要な状態です。包括的なアプローチを通じて、障がい者の生活の質を向上させ、社会参加を促進することが重要です。

 

参考

「長女が生まれどん底に突き落とされた」50年前に知的障がいのある娘を育てた母がミニスカートをはいた深い理由 92歳現役映画監督が作品に込める思い プレジデントオンライン

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