2024.03.12

「助けて」と言えるように練習が必要 重度の障がいがある息子と体験した災害を教訓に

「誰一人、取り残さない防災」を実現するため支援の道を歩む

笠間真紀さんは、福島県いわき市で心身に重い障がいがある息子を育てながら、障がい児支援のNPO法人を運営しています。

自分の育てる子供たちの将来に対する不安に打ち勝つために、彼女は息子と共に、障がい児支援の道を歩み始めることを決意しました。

その一方で、彼女は地域の災害にも直面しました。度重なる地震や水害が彼女と彼女の息子に試練を与えました。

避難所への移動に踏み切れない心の壁、その一方で福祉避難所の重要性を痛感する日々。彼女は、その経験を通じて、災害弱者の防災が地域社会において重要な課題であることを痛感しました。

そして、「誰一人、取り残さない防災」を実現するために、「助けて」と言える練習が必要だという思いが彼女の心を駆り立てました。

 

「重症心身障がい児」であると告げられる

笠間さんの人生は、2010年10月のある日、双子の母親としての新たな章が始まりました。その中の一人、三男には生まれてすぐに重い身体障がいと知的障がいがある「重症心身障がい児」であると医師から告げられました。

 

子供たちの将来に対する不安

笠間さんはその告知を受け、深い不安と孤独に包まれました。理恩(りおん)と名付けられた息子がNICU(新生児集中治療室)に入れられ、見たこともないような医療機器に囲まれている姿を目にした時、彼女の心には言葉では表現しきれない複雑な感情が渦巻きました。

その瞬間、彼女の人生は一変しました。彼女は、この未知の世界に対する恐れと同時に、自分の育てる子供たちの将来に対する不安に押しつぶされそうになりました。

 

慣れない病名と薬、消えない不安

入院中は、聞いたことのない病名や薬の名前を覚えることで精いっぱいでした。彼女は将来への不安と孤独感に押しつぶされそうになりました。

「この子はどういう風に成長していくのだろう?」「在宅でどんな生活になるのだろうか?」と考える日々でした。

ようやく退院して一緒に家に帰ることができたのは、生後2ヵ月の頃でした。しかし、彼女の不安はまだ解消されませんでした。

 

強い揺れが笠間さんたちを襲う

その後、まもなく訪れた温暖ないわき市でもまだ肌寒さが残る3月、笠間さんは双子を連れて病院を訪れていました。すると、強い揺れが笠間さんたちを襲いました。

あの日、地震が笠間さんたちの日常を一変させました。強い揺れが襲い、まるで建物が揺れる度に天井から何かが落ちてくるような恐怖に襲われました。

その時、笠間さんは乳飲み子2人を抱いて建物の外へ逃げ出すしかありませんでした。その後、笠間さんは自宅の集合住宅にいた祖母の安否が気になり、彼女のもとへ急ぎました。

しかし、エレベーターが停止していて、足の悪い祖母を避難させるために階段を上り下りすることになりました。

その経験から、災害時に幼い子どもや高齢者などの「災害弱者」が避難することの困難さを強く感じました。

 

周囲の目を気にしてしまう

その後の日々は、断水や物資不足といった厳しい状況が続きました。しかし、笠間さんは避難所に身を寄せることには踏み切れませんでした。

赤ん坊を連れて避難所に行った場合、彼らの泣き声で他の避難民に迷惑をかけるかもしれないという不安が頭をよぎったからです。命を守ることが最優先であるはずなのに、周囲の目を気にしてしまいました。

 

日々の生活を維持するのに必死

その後も、笠間さんは日々の生活を維持するために必死でした。理恩さんたち兄弟の世話をしながら、自宅と給水所を行き来する日々を送りました。

ガスが止まっていたため、風呂にも満足に入ることができませんでした。その結果、身も心も疲れ切った状態でした。

約3週間後、埼玉の妹夫婦の家に身を寄せ、家族でゆっくりと湯船につかることができました。その時、ようやく肩の荷が下りたような気持ちになりました。

水道やガスが復旧し、いわき市の自宅に戻ることができたのは、桜並木が満開を迎えた頃でした。その後、笠間さんの家族は、長い時間をかけて少しずつ日常を取り戻していきました。

 

再び災害に見舞われる

しかし、8年後、再び一家は災害に見舞われることになりました。2019年の東日本台風は、いわき市に甚大な被害をもたらしました。

河川の氾濫が相次ぎ、市内全域で8,000軒以上の建物が被災し、笠間さんの自宅も浸水被害を受けました。

 

車中泊での避難を選択

しかし、その時にも避難所に行くことを選ばず、当時9歳の誕生日を迎える直前だった理恩さんと家族は車中泊での避難を選びました。

理恩さんの医療機器には大容量の電源が必要であり、またオムツ交換時のプライバシーを守るための仕切りも欠かせませんでした。

福祉避難所は、このような配慮が必要な人々のニーズに対応する場所ですが、笠間さん家族はそのような施設を利用しませんでした。

なぜなら、当時のいわき市では一般の避難所を開設し、障がい者や高齢者の人数に応じて福祉避難所を開設するかどうかを判断していたからです。

 

避難所の利用をためらう要因

さらに、障がいのある子どもは慣れない環境で大声で騒いでしまう場合があり、これも笠間さん家族が避難所の利用をためらう要因となりました。

笠間さんは、「震災の時にも気にしてしまった『周りの目』が、ここでも避難所へのハードルとなっていた。」と述べています。

 

「個別避難計画書」の重要性を痛感

道路が水に覆われ、冠水する中、理恩さんのバギーを動かすことができませんでした。笠間さんは、動けない理恩さんを毛布で包み、車に乗せるのがやっとでした。

この経験から、笠間さんは医療的ケアが必要な子どもたちの避難のための「個別避難計画書」の重要性を痛感しました。この計画書には、家族の連絡先や災害発生から実際の避難までの具体的な手順が記載され、支援の体制が整えられます。

 

災害時における弱者の立場を理解

被災した経験は笠間さんに多くのことを教えてくれました。命の尊さや家族の絆、地域の支え合いの大切さを痛感させられました。

これらの経験は笠間さんの人生観を変え、災害時の備えや、他者への配慮をより深く考えるようになりました。また、笠間さんは災害時における弱者の立場を改めて理解し、そのような状況下での支援や対応の必要性を痛感しました。

これが笠間さんの地域社会への貢献への動機となり、彼女は積極的に福祉避難所の開設訓練や地域住民との協力活動に参加するようになりました。

 

障がい児デイサービス施設「どりーむず」開設

笠間さんはNPO法人「ままはーと」を立ち上げ、2018年に障がい児デイサービス施設「どりーむず」を開設しました。

自身も介護福祉士の資格を持つ医療的ケア児等コーディネーターとして、看護師や理学療法士、児童相談員などのスタッフとともに、現在0歳から22歳までの計30人を受け入れています。

 "重心児の笑顔と地域をつなぐ"がままはーとの理念で、孤独になりがちな障がい児の家庭と、医療・福祉・行政などの連携を目指しています。

 

理解を深めることで避難所での生活が円滑になる

地域の人々との良好な関係は、避難所での過ごし方にも大きな影響を与えます。多くの人とのコミュニケーションを通じて理解を深めることで、避難所での生活が円滑になります。

かつて笠間さん家族が避難所の利用をためらった「周りの目」を気にせずに過ごせれば、障がい者が避難所に入るハードルは低くなるでしょう。

大規模な水害に見舞われた際、自宅から避難所に移った家庭はなかった

避難をためらってしまうのは笠間さんだけではありませんでした。去年9月、福島県内では初めてとなる線状降水帯が発生し、いわき市は再び大規模な水害に見舞われました。

笠間さんは雨が降り始める前に、どりーむずの利用者らに避難を呼びかけましたが、自宅から避難所に移った家庭はありませんでした。

「痛感した。これだけ言ってもまだ駄目かと。」と話す自らも、早めの避難に踏み切ることができませんでした。意識を高めているつもりでも、避難行動のハードルはまだ高かったのです。

 

「私がいなくても、この子は生きていける」と思える関係性を構築

しかし、少しずつ変化も感じています。理恩さんの避難計画書の作成を進めるために、市の担当職員や地元の民生委員らと会議を重ねたことで、地域の人々とのコミュニケーションが深まりました。

民生委員とは世間話もするようになり、ゴスペルの活動に誘われたことがうれしかったです。障がい児の親は「この子には私がいなければ絶対だめだ」と考えがちですが、地域の人に障がい児の事情をもっと知ってもらって「私がいなくても、この子は生きていける」と思える関係性を構築できたなら、今度こそ避難をためらわずに済むはずです。

「私たちには『助けて』と言う練習がもっと必要だ。」笠間さんは福島から、障がい児を育てる全国の家庭にメッセージを発信し続けています。

 

地域社会全体の防災意識の向上や支援体制に貢献

笠間さんの活動は、地域の人々とのコミュニケーションを通じて、避難所の利用や災害時の支援体制の整備の重要性を訴え続けています。

彼女の取り組みは、単なる個人の活動にとどまらず、地域社会全体の防災意識の向上や支援体制の充実に貢献しています。

 

「周りの目」を気にせずに過ごせればハードルは低くなる

地域の人々との良好な関係構築は、災害時の避難所での過ごし方にも大きな影響を与えます。

多くの人とのコミュニケーションを通じて理解を深めることで、避難所での生活が円滑になります。かつて笠間さん家族が避難所の利用をためらった「周りの目」を気にせずに過ごせれば、障がい者が避難所に入るハードルは低くなるでしょう。

 

支援体制の構築も進む

地域の人々との信頼関係を築くことで、災害時における支援体制の構築も進みます。地域住民が障がい児やその家族のニーズを理解し、支援に協力することで、災害時の避難所での生活がより安心できるものになるでしょう。

また、地域社会全体が協力し合うことで、より包括的な支援体制を構築することができます。

 

教育と意識啓発の役割

さらに、笠間さんの活動は、地域の人々に対する教育と意識啓発の役割も果たしています。障がい児やその家族が抱える課題や困難を理解し、共感することで、地域の人々はより支援的な態度を取ることができるでしょう。

また、災害時の避難行動においても、障がい児やその家族が安心して避難できるよう、地域住民が適切な配慮を行うことが重要です。

笠間さんの活動は、地域社会全体の協力と理解を得て、障がい児やその家族が災害時に安心して避難できる環境を整えることを目指しています。

彼女の取り組みは、地域の防災意識の向上や支援体制の充実に貢献しており、地域社会全体の強靭化につながると言えます。

まとめ

彼女の決意は、NPO法人の設立と地域社会への貢献につながりました。彼女は地域の人々と協力し、福祉避難所の訓練や支援活動に積極的に関わりました。彼女の努力と情熱は、障がい児やその家族に対する理解と支援を広めるための重要な一歩となりました。

その努力が、災害時の支援体制の改善につながることは明らかです。笠間さんの活動は、地域社会の防災力向上に向けた貴重な一歩であり、彼女の情熱と努力によって、より安心できる地域社会の構築に貢献しています。

 

参考

「助けて」と言える練習を――重度の障がいがある息子と経験した震災、行けなかった避難所 #知り続ける(KFB福島放送)Yahooニュース

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