2024.05.31

重い障がいを抱える患者の支援 交通事故の影響を乗り越えて:交通事故で重い障がいの患者 どう救う?

兵庫県宝塚市に住む女性は、ゆっくりとした「まばたき」で夫に意思を伝える日々を送っています。

4年前、彼女は交通事故に遭い、意識不明の重体で病院に搬送されました。「なぜ家族がこんな目に遭うのか。毎日が不安でいっぱいでした」夫は当時の心境を振り返ります。

 

緊急手術後も回復の見通しは立たず、彼女は3か月ごとに入退院を繰り返す生活が続きました。一般的な病院では、治療やリハビリを受けられる期間が限られているからです。

 

そんな中、ようやく夫婦がたどり着いたのが、交通事故で重い障がいが残った患者を専門に受け入れている岡山市の病院でした。交通事故による死者数が減少している一方で、命を取り留めた人々を支援する現場が存在しています。

 

事故はある日 突然に

兵庫県宝塚市に住む久仁子さん(56)は、ある朝突然の交通事故に見舞われました。4年前の3月の朝、通勤のため自転車で自宅近くの交差点を渡っていたところ、トラックにはねられたのです。

 

久仁子さんの夫は当時を振り返ります。「その日も、妻は朝8時半ごろに『いってきまーす』と自転車に乗って仕事に出かけました。私はリビングにいて『いってらっしゃい』と声をかけましたが、面と向かってバイバイなんてしない、いつもどおりの朝でした

 

その日、夫は救急隊からの連絡を受け、すぐに病院に駆けつけました。到着すると医師から、緊急手術の同意を求められました。

 

「なんとか生きていてほしい」その一心で、夫は手術が終わるのを待ちました。久仁子さんは手術により命を取り留めましたが、新たな問題に直面することになりました。

 

3か月ごとに入退院を繰り返す生活

久仁子さんは、回復の見通しが立たず、3か月ごとに入退院を繰り返す生活が続きました。一般的な病院では、治療やリハビリを受けられる期間が限られているためです。

 

ようやく夫婦がたどり着いたのが、交通事故で重い障がいが残った患者を専門に受け入れている岡山市の病院でした。

 

交通事故の死者数が減少する一方で、命を取り留めた人々を支援する現場があります。そこでは、患者やその家族が新たな生活に向けた一歩を踏み出すための支援が行われています。

 

交通事故 死者数は減少も…

全国の交通事故による死者数は減少傾向にあります。2022年の死者数は2610人で、この10年で1700人以上減少しました。

 

一方で、神経や臓器に著しい障がいが残り、介護が必要となり、自賠責保険が支払われた人は2022年度で947人。死者数と比べると減少幅は緩やかです。

この背景には、より高度な医療が受けられるようになったことや、自動車の安全性能が高まったことなどがあります。

 

久仁子さんは事故に遭う前、発達障がいがある子どもたちの施設で働き、明るい性格で同僚や子どもたちから慕われていました。施設ではいつも笑いが絶えず、彼女の存在が大きな支えとなっていました。

しかし、交通事故により久仁子さんの生活は一変しました。事故後は24時間の看護が必要になり、意識が回復せず、意思の疎通もできなくなりました。

 

『なんでうちの家族がこんな目に』

久仁子さんの夫は当時の心境をこう語ります。

「事故の直後は、正直、『なんでうちの家族がこんな目に』と思いました。仕事をして気を紛らわせていましたが、妻の容体や今後のことを考えると不安だらけでした。自分ではいつもどおり過ごしていたつもりでしたが、あとになって、息子や友人からは『1年くらいは怒りっぽくて、ちょっと様子がおかしかった』と言われました」

 

このように、交通事故の影響は被害者本人だけでなく、その家族にも深刻な影響を及ぼします。交通事故の死者数が減少している一方で、重い障がいを抱えながら生きる人々への支援がますます重要となっています。

継続的な医療が必要な現実

命を取り留めた妻とその夫が直面したのは、継続的な医療を受けられる場所が見つからないという問題でした。一般の病院では治療やリハビリの期間が限られており、長期的に治療を続けることが困難です。意識がはっきりしないまま、久仁子さんは3か月ごとに入院と退院を繰り返していました。

 

「同じ医師や看護師に診てもらうことはできないのだろうか」そんな時、夫は仕事でつきあいのあった弁護士から岡山市にある「岡山療護センター」を紹介されました。

 

“回復の兆しを見逃さない” 交通事故の専門病院

岡山療護センターは、独立行政法人「自動車事故対策機構」が設けた病院で、「自賠責保険」の運用益などで運営されています。入院の期間はおおむね3年間で、患者一人一人にあわせたメニューで回復を目指すことができます。

 

病院のベッドは50床あり、今年3月末の時点で10代から80代までの計44人が入院しています。いずれも交通事故で脳を損傷し、自力で動いたり食事をしたりすることが難しく、意思の疎通が困難な患者たちです。そのため、治療の糸口となるわずかな“回復の兆し”も見逃さないよう、同じ看護師が一人の患者を継続して受け持つ体制がとられています。

 

脳細胞の数が減少している状態

リハビリでは、患者の筋肉や関節のこわばりを取って動きやすくする訓練や、後ろから支えて歩く訓練が行われています。また、タブレットの画面に示されたアルファベットの中から同じ文字だけを選ぶという認知機能のトレーニングも行われています。

 

岡山療護センターの鎌田一郎副センター長はこう語ります。

「重い意識障がいが残る患者は脳を損傷し、脳細胞の数が減少しています。治療では残っている脳細胞に、改めて体を動かしたり、ものごとを考えたりするプログラムを組み直してもらいます。時間がかかるので、毎日同じことを繰り返し行って、脳に覚えさせていきます」

このように、岡山療護センターは重い障がいを抱えた患者たちが少しでも回復するための継続的な医療とリハビリを提供しています。

 

意思疎通が“生きがい”に

岡山療護センターでは、患者の五感を刺激するために工夫が凝らされています。例えば、窓の近くにベッドを配置し、元気だった頃に好きだった音楽を流し、テレビもつけています。こうした取り組みは、少しでも意思疎通ができるようになることを目指しています。

 

この病院では、過去30年間に入院した503人のうち、36%にあたる185人が意思疎通の能力や運動機能が回復して退院し、その多くは障がい者支援施設などに移りました。

 

本人や家族にとって生きがいに

岡山療護センターの鎌田一郎副センター長はこう語ります。

「重い意識障がいの患者は、声をかけても普通に会話はできませんが、実際にはアイコンタクトができるとか、少し手を動かして意思の疎通ができるとか、状態はさまざまです。やりとりができるようになることは、本人や家族にとって生きがいになりますが、かなりの時間が必要です。3年間、変わらぬ質と量の医療を提供できることには大きな意義があります

 

長期的なリハビリの成果

久仁子さんもこの病院に入院し、明るい室内で日光や季節の移ろいを感じながら懸命なリハビリを続けました。取り組んだのは、まばたきやスイッチを押すことで意思を表す訓練です。

 

コロナ禍の面会制限が撤廃された去年の秋以降、夫は毎月1回病院を訪れました。会うたびに久仁子さんの表情が明るくなり、まぶたを開けたり閉じたりする様子を見て、夫は希望を抱くようになりました。

そして3年半後、久仁子さんは看護師の合図にあわせて、まばたきやスイッチで「YES」と「NO」を示せるようになりました。

 

本当に感謝しています

久仁子さんの夫はさらなる回復を願い、慣れ親しんだ自宅で彼女を支える決意をしました。

「事故のあと、『意識は戻らないかもしれない』と言われていたのが、こうして目線も合うようになり、誰が面会に来ているかもわかるようになり、表情も出てきた。ずっと意識が戻らないかもと思っていたので、ここまで回復してくれて本当にうれしいです。転院を繰り返すとそのたびに医師や看護師も変わってしまいます。3年間も治療を続けてくれる施設はほかにありません。本当に感謝しています

 

回復を喜びに 2人で歩む人生

今年4月、久仁子さんはついに退院しました。4年ぶりに自宅に戻った久仁子さんは、そのことを感じ取っているようでした。夫は「お帰り、頑張ったね」と何度も語りかけました。

 

自宅での生活には、たんの吸引やおなかのチューブを通じた栄養補給などの医療的ケアが必要で、24時間の見守りが欠かせません。今後は訪問看護や介護サービスを利用しながらの生活になります。

 

笑いが絶えない家族になるように頑張っていく

夫は、自宅での治療や介護にかかる費用や、行政からの支援がどの程度受けられるかについて不安を抱いています。それでも、妻の回復を喜びとし、共に人生を歩む決意を新たにしています。

 

久仁子さんの夫は語ります。

妻は、どんな状況でも常に前向きでした。いま、自分が不自由な状態だというのも、ある程度はわかっていて、それでも状況を受け入れて楽しもうとしているはずです。だから私も前に進んでいかないといけないと思っています。自宅に帰ってきてから、顔色もすごく良くなり、笑顔も増えました。事故の前のように笑いが絶えない家族になるように頑張っていきます」

 

支援体制の拡充が必要

死亡事故を1件でも減らそうと取材を続ける中で、交通事故で意識不明になった患者が回復に向けてリハビリを続ける岡山療護センターの存在を知りました。

同様の施設は岡山のほかにも、宮城、千葉、岐阜にもあります。久仁子さんの夫は「私たちはラッキーだったんです。半年で療護センターに入院できましたから」と話していましたが、実際には事故から1年、2年経ってから入院する患者もいるといいます。

死亡事故をなくす取り組みとともに、万が一事故に遭っても適切な支援が受けられる体制の拡充が必要であると感じました。(岡山放送局 記者 内田知樹)

まとめ

久仁子さんの回復を支えた医療スタッフ、夫、そして社会全体が果たした役割は、交通事故の被害者とその家族が直面する困難を乗り越えるための重要な教訓となります。医療スタッフは専門的な知識と継続的なケアを提供し、久仁子さんの回復を支えました。夫は彼女に寄り添い続け、日々の努力と愛情で回復への道を共に歩みました。そして、社会全体としては、交通事故の被害者が適切な支援を受けられるような体制の整備が急務であることを再認識しました。

久仁子さんとその夫の物語は、重い障がいを抱えた患者とその家族にとって希望の光となり、また、交通事故の被害者を支えるための体制づくりの重要性を示すものです。私たち一人ひとりが、支援の輪を広げ、誰もが安心してリハビリに取り組める社会を目指していくことが求められています。

 

参考

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240521/k10014455821000.html


凸凹村や凸凹村各SNSでは、

障がいに関する情報を随時発信しています。

気になる方はぜひ凸凹村へご参加、フォローください!

 

凸凹村ポータルサイト

 

凸凹村Facebook

凸凹村 X

凸凹村 Instagram

凸凹村 TikTok


 

関連情報

みんなの障がいへ掲載希望の⽅

みんなの障がいについて、詳しく知りたい方は、
まずはお気軽に資料請求・ご連絡ください。

施設掲載に関するご案内