2024.04.25

増え続ける発達障がいと社会的課題 正常な人が「異常」扱いされている?

2023年の国内の精神科患者は、入院と通院を合わせて750万人に上る。日本人の15人に1人が精神科で治療を受けている計算だ。

「うつ病」や「発達障がい」など、一般的な精神疾患に加えて、近年は社会的な関心が高まる中、診断される人々も増加している。この深刻な状況を警告する声の一つが、精神医療の現場で人権侵害問題に取り組む米田倫康氏のものである。

 

過剰診断は深刻な問題

米田氏は「患者の増加に伴い、精神科クリニックの中には医療の質が低いところも増えている」と指摘します。一方で、精神科医の和田秀樹氏は「発達障がい者を社会的に排除する傾向がある現状では、過剰診断は深刻な問題である」と警告しています。

日本の精神医療の問題について、米田氏と和田氏の対談を通じて、深層を探るシリーズをお届けします。精神科の診療領域では発達障がいも重要なトピックとなっています。若い人や子供が精神科を受診する現象も増えており、発達障がいの診断が急増していることが示唆されています。

 

異常な状況と言える

全国的に見ても、発達障がいの診断は急増しています。例えば、長野県では毎年、唯一発達障がいと診断・判定された児童生徒の数と割合を調査しており、その割合は6.82%に達しています。

特に、自閉症スペクトラム障がい(ASD)の増加が顕著で、調査が始まった平成15年度(2003年度)の0.13%から、令和5年度(2023年度)には3.23%にまで上昇しています。これは国際的な基準で考えられる割合(0.65~1%)を大きく上回る数字であり、異常な状況と言えるでしょう。

 

発達障がいの診断数が増加していることは明らか

和田氏の指摘によれば、発達障がいの診断数が増加していることは明らかであり、過剰診断の可能性が高いとされています。かつては通常学級の3%程度と言われていた割合が、現在では8.8%にまで上昇しています。

また、発達障がいに対する治療の必要性についても議論があります。例えば、ADHD治療薬のコンサータを使用する必要があるほどの重度の症状を示す子供は一部にいますが、大半の子供は多少の落ち着きの欠如や他人の気持ちの理解の遅れ程度であり、それを病気とみなすべきか疑問視されています。

 

発達障がいであるとしても多様な経験を積むための一助になった

和田氏自身も、自身の子供時代を振り返り、他人の気持ちが理解できないクズガキであったと述べます。しかしその性格は、彼の個性であり、発達障がいであるとしても、それが彼の医師としてのキャリアや多様な経験を積むための一助になったと考えています。

和田氏は自身の家庭での経験を通じて、"正常"であることの重要性に対する母親の考え方を述べます。彼の母親は常に子供たちが個性的であることを受け入れ、一般的な道に進むことを求めず、むしろ資格取得などの個々の才能を伸ばす方向にサポートしていました。

 

専門家の診断に依存するしかない

特に、和田氏の弟については、彼が幼少期に病気で苦しんだことがあり、知的障がい的な状態が一時期あったにもかかわらず、母親は特殊学級に行くことを拒否しました。和田氏は、このような家庭は少数派であると感じています。

米田氏も同意し、「早期療育が必要だ」という一般的な意見に対して、親が同調することの圧力が強いことを指摘します。発達障がいの子供を持つ親は、早急に対処しなければならないという社会的期待に苦しむことがありますが、実際には発達障がいを客観的に判断する方法がないため、専門家の診断に依存するしかないと述べます。

 

ダイバーシティの概念と矛盾

和田氏は、自身の娘が学校で仲間外れにされる状況を経験しました。彼の感覚では、娘が居心地の悪い環境で無理をする必要はないと考え、別の学校に行かせようと思っていました。しかし、妻は娘が仲間外れにされているという状況に非常に心配していました。

和田氏自身は、自分が仲間外れにされる経験をよくしており、そのような状況に対してあまりビビらないと述べます。しかし、一般的な人々はそのような状況に対して異なる反応を示すことを指摘します。

彼は、多くの親が自分の子供が異なると言われた場合に、それを受け入れる傾向があると感じています。自分の子供が特別支援学級ではなく普通のクラスにいることを望む親が少ないと述べ、その考え方が現代のダイバーシティの概念と矛盾していると考えます。

 

天才予備軍として大切にすると指摘

米田氏が指摘するように、発達障がいやうつ病など、メディアを巻き込んだキャンペーンになると、反対意見があまり出なくなり、一つの論調に統一されてしまいます。

和田氏は、灘高校が変わった人が多い学校であり、そこに集まるような天才肌の人たちは共感力が低いため、発達障がいのレッテルを貼られかねないと述べます。しかし、普通の国ではそうした人々を天才予備軍として大切にすると指摘します。

 

共感能力とシステム化力

この点に関して、英国のケンブリッジ大学の発達心理学者であるサイモン・バロン=コーエン教授の見解が示されます。彼は、人間が進化する過程で共感能力とシステム化力という二つの能力が逆相関にあると述べます。

共感能力は他人の気持ちを理解する能力であり、システム化力は物事の規則性を見つける能力です。日本では共感能力が弱くてもシステム化力だけが高い人が発達障がいとして排除される傾向があるとしていますが、海外ではそうした個性を受け入れる風土があり、スティーブ・ジョブズのような人物が生まれると述べています。

 

日本の社会は異分子を排除する傾向が強い

和田氏は、日本の社会が異分子を排除する傾向が強いことを指摘し、発達障がいの診断がその傾向を補強してしまっていると述べます。日本の文化では、落ち着きがない人や他人の気持ちがわからない人が不適合と見なされ、そうした個性を持つ人々が排除される傾向があると述べます。

他の国では異なる個性も受け入れられやすい一方で、日本ではそうした個性が排除され、発達障がいというレッテルが貼られることで、日本社会の不寛容さが表面化していると主張します。

 

異なる個性を持つ人々が同調圧力に押される

米田氏も同様に、日本社会が異分子を排除したがる特性と発達障がいの診断がマッチしてしまったことを不幸だと感じています。彼は、発達障がいの診断が異分子を排除するための手段として機能し、投薬や矯正などの形で異なる個性を持つ人々を強制的に「通常」の集団から遠ざける状況があると述べます。

このような状況下で、当事者が自らの意志で選択するのではなく、周囲が強制することで、異なる個性を持つ人々が同調圧力に押されることがあると述べます。

大人の発達障がいの診断についても過剰診断が見られる

米田氏は、大人の発達障がいの診断についても過剰診断が見られると指摘します。成人の場合でも、社会生活を送ってきた人が突然発達障がいと診断されるケースがあります。たとえば、会社の幹部として活躍していた人が心身の不調を訴えてクリニックを受診し、「あなたは大人の発達障がいです」と診断される場合があります。

しかし、本来の診断基準では、社会性やコミュニケーション能力が極端に低いレベルでないと発達障がいとしての診断は立たないと指摘します。

 

身の回りのトラブルの免罪符にされる傾向がある

社会性やコミュニケーション能力に問題がある人は多く存在するが、それまで一定の社会生活を営んできた実績がある場合、診断名を付ける必要はないというのが米田氏の主張です。診断がつくと、自己暗示がかかり、自分は発達障がいだからという言い訳にされ、身の回りのトラブルの免罪符にされる傾向があると述べます。

 

発達障がいを個性として認識することが重要

和田氏は、世間が発達障がいを個性として認識してくれることが重要だと述べます。もし周囲が、「ちょっと落ち着きがないけど好奇心旺盛」「ものを片付けられないけど多くの興味を持っている」といった個性として認識してくれれば、過剰診断もそれほど問題ではないと考えます。

しかし、現在の社会的認知は、発達障がいを「ダメなやつ」として見なし、矯正や薬での治療が必要だという考え方に偏ってしまっていると指摘します。そのため、過剰診断がもたらす害を考えると、現状の診断方法に問題があると主張します。

 

発達障がいという言葉自体に問題がある

米田氏もこれに同意し、発達障がいという言葉自体に問題があると指摘します。英語の「disorder」が日本語の「障がい」と訳されたことで、生まれつきの器質上の問題や一生治らないというイメージが付加されてしまったと述べます。

このため、発達障がいと診断されると、普通ではないというイメージが付き、普通とは異なるレールで生きなければならないという誤ったイメージが生まれてしまうと述べます。

発達障がいという診断を受けた人は、周囲から普通ではないと見なされ、異なるレールで生きなければならないというプレッシャーを感じることがあります。このようなイメージが付き、社会から排除される可能性もあることは、不幸な側面の一つと捉えられます。

発達障がい:異なる個性の受容と社会の課題

近年、発達障がいの診断が増加しており、このトピックは精神医療や教育の分野で注目を集めています。発達障がいは、個々の社会的行動や学習能力、コミュニケーションスキルに影響を与える状態の総称であり、一般的なものとしては注意欠如多動症(ADHD)や自閉スペクトラム障がい(ASD)、学習障がいなどが挙げられます。その増加には、診断の向上や社会の認知度向上、過去に比べて症状に対する理解が進んだことなどが要因として挙げられます。

 

診断の増加と過剰診断の問題

近年の発達障がいの診断増加は、専門家の理解や診断技術の進歩によるものとされています。しかし、その一方で過剰診断の問題も指摘されています。過剰診断は、個々の特性や行動を病的とみなし、必要以上に医学的な介入を行うことを意味します。特に、発達障がいの診断は、人々の社会的生活や教育に大きな影響を与えるため、その正確性が重要視されます。

 

社会的受容の課題

発達障がいの診断が増加する中、社会的な受容の問題も浮き彫りになっています。一部の国や文化では、発達障がい者に対する偏見や差別が根強いことがあります。また、異なる個性や行動が、社会的な「異分子」として排除される傾向も見られます。これにより、発達障がいを持つ人々が適切な支援や機会を受けることが難しくなります。

 

個性の受容と支援の重要性

発達障がいを持つ人々の多くは、他の人々とは異なる個性や能力を持っています。これらの個性を受容し、適切な支援や環境を提供することが重要です。例えば、発達障がいを持つ人々が社会的に受け入れられるためには、教育機関や職場での配慮やアクセシビリティの向上が必要です。また、家庭や地域社会においても、理解と支援が求められます。

 

まとめ

発達障がいという診断を受けた人は、周囲から普通ではないと見なされ、異なるレールで生きなければならないというプレッシャーを感じることがあります。このようなイメージが付き、社会から排除される可能性もあることは、不幸な側面の一つと捉えられます。しかし、和田氏と米田氏の警告を通じて、過剰診断と社会の受容性の問題について考えることが重要です。

発達障がいは、個々の人々の生活や社会に与える影響が大きい状態です。その診断の増加と過剰診断の問題、そして社会的な受容の課題を考えると、個性の受容と適切な支援の提供が喫緊の課題となります。将来的には、社会全体が多様性を受け入れ、それぞれの個性や能力を活かす環境が整うことを願うばかりです。

 

参考

「子どもから大人まで異様に増え続ける発達障がい」と「日本社会のヤバすぎる特性」...正常な人が「異常」扱いされるのは日本だけ @gendai_biz

「子どもから大人まで異様に増え続ける発達障がい」と「日本社会のヤバすぎる特性」...正常な人が「異常」扱いされるのは日本だけ @gendai_biz

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