2024.06.04

統合失調感情障がい「エゴで病気になった」と言われて20年、障がい者手帳をやっと手にした44歳男性の紆余曲折

現代の日本では、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっています。この現象の背後には、一度貧困に陥ると抜け出すことが非常に困難な「貧困強制社会」の存在があります。本記事では、「ボクらの貧困」と題し、特に男性が直面する貧困の個別ケースに焦点を当てて報告していきます。

 

今回紹介するのは、「足掛け7年の社会人経験はあるが、全て非正規雇用」と編集部にメールを寄せた44歳の男性です。彼は最近、ようやく障がい者手帳を取得しました。その背景には、TOEIC975点という高い資格を持ちながらも、メンタルの悪化に苦しんできたという紆余曲折があったのです。

 

「いい大学に行きたいというエゴで病気になっただけ」

「君には社会資本は使わせない」東京都内の有名私大を卒業してから数年が経ちますが、メンタルの不調から定職に就けずにいたユズルさん(仮名、44歳)は、当時の主治医からこのような言葉を告げられました。障がい者手帳を取得したいという相談を持ち掛けた際の返答でしたので、正確には「福祉制度は使わせない」と言いたかったのだろうと感じました。

 

障がい年金の受給や障がい者雇用枠での就労も認めないといわんばかりの勢いだったため、ユズルさんが理由を尋ねると、次のように一蹴されました。

「君はいい大学に行きたいというエゴで病気になっただけでしょう。そういう自分勝手な理由には同情できません

 

「心因反応」という診断

ユズルさんは10代で初めて精神科を受診し、「心因反応」という診断を受けました。心因反応とは、なんらかの心理的なダメージを受けた結果生じる症状などのことで、正式な病名ではないとされます。一方で、彼はすでに2度にわたる精神科病院への入院も経験しており、一般雇用枠での就労は厳しいのではないかという懸念がありました。

 

もちろん、障がい者手帳や年金に関する事務手続きを所管するのは地方自治体や年金事務所であり、障がい者の就労支援を担うのはハローワークです。ただ、利用や支給の決定にあたっては主治医の見解が大きく影響します。

ユズルさんはダメもとで精神保健福祉センターも訪ねてみましたが、案の定、医師の見立てを基に「君のように普通に対話できる人は一般雇用枠での就労を目指したほうがいい」と、事実上の門前払いを食らったということです。

 

資格を取っても就職につながらない

ユズルさん(仮名、44歳)は、大学卒業後に得意な英語を活かして手に職をつけようと努力しました。専門の学校に通い、全国通訳案内士や英検1級、通訳技能検定2級を取得し、TOEICでは975点(990点満点)を記録しました。「これなら通訳か翻訳家として食べていけるのでは」と夢を抱きました。

 

しかし、通訳者や翻訳者を派遣する会社の面接を受けた際、著名な通訳者でもあった面接官から「君は大学を出てからなんの仕事にも就いていないんだね。まずは職業適性を見極めたほうがよいのでは」とダメ出しをされました。資格を取っても就職につながらない――。主治医に障がい者手帳について相談をしたのはちょうどこのころのことだといいます。しかし、返ってきたのは精神疾患は自己責任といわんばかりの言葉でした。

 

1、2年でうつ状態に

通訳の資格も生かせない、福祉サービスの利用もできない。そこで、いくつかの会社でパートやアルバイトとして働いてみました。倉庫内のピッキングやスーパーの品出しといった仕事でしたが、いずれも1、2年でうつ状態になったり、気分の浮き沈みが激しくなったりして働き続けることができませんでした。この間、両親に迷惑をかけまいと、一人暮らしを試みては体調を崩し、実家に戻ることを繰り返しました。

 

ユズルさんの履歴書の「免許・資格」欄を見ると、「サービス接遇実務検定2級」「リテールマーケティング検定2級」「ロジスティクス管理3級」「ITパスポート」など数多くの取得資格が並んでいます。転職を繰り返す中で、少しでも能力やスキルを身に付けようと努力していた様子が伺えます。

 

メンタルの状態は悪化の一途

一方で、メンタルの状態は悪化の一途をたどりました。20代の終わりに別の精神科医から双極性障がいと診断されました。数年前には独断で処方薬の服用をやめてみましたが、4カ月で体重が20キロも落ちてしまいました。結局、3度目の入院をすることになり、その際に統合失調症と気分障がいが併発する統合失調感情障がいと診断されました。

 

そして退院後に障がい者手帳を取得しました。現在は毎月約6万円の障がい年金を受給しながら障がい者雇用枠で働いています。フルタイム勤務ではないため、月収は年金を合わせても17万円ほどです。

 

そもそもユズルさんが精神疾患を発症したきっかけは何だったのでしょうか。ユズルさんの子ども時代、学校の勉強は非常によくできました。共働きの両親はとりたてて教育熱心というわけではありませんでしたが、ユズルさんが進学した私立高校では成績優秀だったため、学費は全額免除されました。特別進学コースにクラス分けされ、国立大学を目指していたということです。

 

数十万円するカセットテープで成績はアップ

あるとき成績が落ちたユズルさんは、担任から「第一希望の大学は厳しい」と言われてしまいました。そこで頼ったのが、集中力や記憶力が高まると謳う自己啓発本とカセットテープでした。数十万円するそのセットを親に頼み込んで買ってもらいました。

 

テープを聞き始めると、効果は即座に現れました。成績がアップし、再び志望校の合格圏内に戻ることができたのです。しかし、一方で夜眠ることができなくなりました。数時間は眠るものの、その間も脳が覚醒しているようで、まったく休めた気がしなかったそうです。

 

「テープは呼吸法や瞑想法を教える内容で、それを1日1時間ほど聞いていただけです。でも、それ以来、英単語や参考書の文字を見ただけで脳が異常に興奮し、情報に過敏に反応するようになってしまったんです」

 

不眠状態が4カ月続いた

不眠状態が4カ月ほど続いたため、初めて精神科を受診しました。しかし症状は改善せず、思考や注意力の低下も見られるようになったため入院することになりました。病院ではさまざまな薬を投与され、一時は集中力が続かず中学生レベルの問題も解けなくなり、歩くのもままならない状態に陥ったといいます。

 

日本の精神医療には、長期間の強制入院や身体拘束、薬漬けといった問題への批判があります。ただユズルさん自身は「私の場合は強制入院ではありませんでした。たしかに薬漬けの状態ではありましたが、『患者に合った薬を探すためにいろいろと試している』という病院側の説明には納得しています」と話します。

 

2年遅れで大学に進学

結局、2回の入院を経て2年遅れで大学に進学しました。第一希望の学校ではありませんでしたが、ゼミではゼミ長を務めるなど学業に専念しました。一方で「友人との何気ない会話が苦手。飲み会に対しても不健全というイメージがぬぐえなくてサークル活動などからは距離を置いていました」と言い、交友関係は広くはありませんでした。

 

自身の性格や体調を考え、比較的安定して働ける公務員を目指し、在学中から専門の予備校にも通いました。しかし、いざ試験を受けると、複数の自治体で筆記には通るものの、面接ですべて不合格となってしまいました。悩んだ末に新卒での就職は諦めました。

 

「遅かれ早かれ精神疾患は発症していた」

精神疾患発症のきっかけとなった自己啓発テープについて、ユズルさんは「私には良くも悪くも効果が強く現れすぎたようです。トリガーにはなりましたが、遅かれ早かれ精神疾患は発症していたと思います」と語ります。

 

障がい者雇用枠での就労という選択肢を絶たれ、非正規雇用で働いていたときは遅刻や無断欠勤はありませんでした。残業が月80時間を超えることが続き、体調を崩して辞めた会社からは後に「また戻ってこないか」と声をかけられるほど、勤怠は真面目だったといいます。

気づけば仕事以外で過度に活動的に

ユズルさんは仕事以外のことで過度に活動的になることがありました。英語のスピーチサークルに参加したり、行政書士の勉強を始めたり、留学の準備を進めたりしました。「ハイテンションになってあれこれ手を出すのですが、どれもが中途半端に終わり、結局は落ち込む」とユズルさんは言います。これは双極性障がいにおけるそう状態の典型的な症状だそうです。こうしたときには、仕事でもケアレスミスや指示忘れが続くようになります。

 

どの職場でも精神疾患のことは打ち明けていましたが、障がい者雇用枠ではなかったため、相応の支援や配慮を受けることはありませんでした。メンタルの状態が不安定になったせいで周囲との関係が悪化することもありました。

 

炭酸水で空腹を紛らわせることも

断薬を試みたのも「ハイテンション」の時期でした。しかし、服薬をやめた途端に「眠れない、食べなくても平気」という状態に陥りました。体重が激減し、3度目の入院を余儀なくされ、そこで統合失調感情障がいと診断されました。

 

「実はこれまで主治医や病院は結構変えてきました」とユズルさんは打ち明けます。「3度目に入院した病院で統合失調感情障がいと診断されたことには、妄想や幻覚がないので疑問もあります。でも、このときに初めて『これまで苦労されましたね』と言ってもらえたんです。救われた気持ちになりました。障がい者手帳を取得するよう勧めてくれたのもこの病院でした」。

 

かつての主治医から「エゴで病気になった」と言われて20年

現在、ユズルさんは障がい者雇用枠で宿泊施設のパート従業員として働いています。月収は約17万円で、そのうち約6万円は家賃に消えるため、やり繰りは厳しい状況です。さらに、ここ数年の物価高も追い打ちをかけています。

「暖房代を節約するために部屋ではダウンコートを着て過ごすこともありますし、炭酸水を飲んで空腹を紛らわせることもあります」

 

当時の主治医の発言についてどう思うか尋ねると、「とても悲しい気持ちになったことを覚えています」と振り返ります。「悔しい」でも「怒りを覚える」でもなく、「悲しい」と表現するところが、ユズルさんの人柄を表しているようでした。

 

もっと早く障がい者手帳を取ることができていれば

「もっと早く障がい者手帳を取ることができていれば、違った人生があったのではと考えることもあります。社会がもう少し精神疾患のある人に寛容になってくれればと思います」とユズルさんは語ります。

まずは今勤めている会社で契約社員になり、できれば無期雇用社員になることが当面の目標だということです。それはささやかすぎる希望かもしれませんが、ユズルさんにとっては大切な一歩です。

まとめ

ユズルさんの体験は、精神疾患との闘いと、適切な支援がいかに重要かを改めて考えさせられます。彼が経験した苦難は、多くの人々に勇気を与え、同時に社会に対する啓発を促しています。彼の希望はささやかかもしれませんが、その一歩が、彼の人生において大きな意味を持っています。彼のたゆまぬ努力と前向きな姿勢は、精神疾患を抱える人々への理解と支援を広げる重要な一歩となることでしょう。

 

参考

障がい者手帳をやっと手にした44歳男性の紆余曲折 #東洋経済オンライン @Toyokeizai


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