発達障がいの長男とひきこもりの次男をもつシングルマザーが絶望と涙の先に得た気づき
「息子たちにとって、頼れる大人は私一人だけなんです」。発達障がいの長男とひきこもりの次男を育てるシングルマザーは今、何を思うのでしょうか。疲れ果て、絶望の末に行き着いた母の気づきとは――。
放課後はいつも一人でゲームばかり
「やっぱり、手が足りなかったんです」
シングルマザーとして2人の息子を育てる小林尚美さん(仮名、56歳)は、そう言って唇を噛みます。
「発達障がいの場合、その兄弟のサポートも家族がしなければならないんです。傷ついていることが多いので、心のケアが大切だとは、少しは理解していましたが、長男を不登校やひきこもりにしたくない一心で必死にやってきたため、弟のことはおろそかになっていたと思います」
39歳で離婚を決意し、3歳と0歳の息子を連れて実家に戻り、実母の協力のもと、正社員としてフルで働きながら子どもを育ててきました。幼少期から問題行動の多い長男に、発達障がいがあるとわかったのは小学3年の時でした。医師から「不登校か、ひきこもりになる」可能性を告げられた尚美さんは、その「呪い」を払うべく、療育に力を注ぎ、学校と常に連携を取り、長男を必死になって守ってきました。しかし、その間、次男はといえば……。
「母が病で施設に入り、次男が小4、長男が中1の時に3人暮らしになりました。安心して働くためにも、次男には学童に行ってほしいと言ったのですが、頑として聞きませんでした。放課後はいつも一人で家にいて、好きなゲームばかりで殻に閉じこもるようになってしまい……。そんな次男に対して、何もサポートができなかったんです」
おとなしく、恐ろしいほど頑なな性格
幼い頃から多動で、激しい問題行動を起こす長男とは違い、次男はおとなしい子でした。しかし、時折違和感を抱くことがありました。
「長男をラグビーチームに入れた時、次男も幼稚園のチームに入れたんです。試合の時、『出ろ』とコーチに言われても、次男は『嫌だ』って、体育座りをして絶対に動かないんです。威勢のいいお母さんに怒鳴られても泣きもせず、じーっと座っていました。この頑固さが怖い、と感じました。おとなしい子なのになぜ?って思いました」
言葉が早かった次男は会話が通じるものの、自分の中に何かこだわりがあり、それ以外のことをしようとすると強い抵抗が生じることを、尚美さんはうっすらと感じていました。
それでも長男と違い、次男は学校で問題を起こすことはなく、塾に行かなくとも学校の勉強はそつなくこなし、ある意味、教員の目が“行き届きにくい子”でもありました。
「一人で家にいるのは良くないと思い、週1でそろばんに行かせたり、サッカーもまあまあ気に入っていたので、やらせたりしていたんです。少しでも、外とのつながりを持つようにと。小6の時に気づいたのは、サッカーに行っていなかったことでした。練習着がいつも洗濯に出されていたので、サッカーをしているとばかり思っていました。私としては、汚れていない練習着を気づかずに洗っていたんです」
尚美さんは、自分を責めるように苦しそうに言葉を続けます。
「日中フルで仕事をして、買ってきた惣菜を温めて出すだけでも大変で、掃除も洗濯もしなければならず、それだけでいっぱいいっぱいでした。手と目が足りていなかったんです。ちゃんと、子どものことを見ていなかったんです。私はただ、洗濯機を回していただけでした」
もっと早く、気づかなければならなかったのに――。そう、何度も繰り返す尚美さん。長男にばかり目が行き、次男の持つ「他の子と違った面」になぜ、気づかなかったのか、今もそのことを悔やみ続けています。
長男か、それとも次男か
「通信のゼミをどうしてもやりたいと言い出したんです。それは1年契約をしたら、iPadがもらえるんですよ。どうしてもやりたいという時の次男の熱意って、本当にすごいんです。そのしつこさもすごくて。最後までやると念書まで書かせたんですが、結局1カ月ももちませんでした。こっちが怒ると、より頑なになってしまって」
今も思い返すと、申し訳なさに涙があふれてくるのは、中学の入学式に参列できなかったことです。
「たまたま、長男の私立高校の入学式と重なってしまったんです。長男は一人で電車に乗ったことがなく、一人で交通機関を使わせるのは危ないので、私が一緒に行くしかありませんでした。結局、小学校から知り合いのお母さんに、次男の入学式をお願いしました」
尚美さんの目から、大粒の涙がこぼれます。
「シングルマザーといっても、親やきょうだいなどが近くにいる場合が多いですよね。でも、私には親戚も誰もいないんです。親族にしかできないようなことがある時、それが今なのに、誰もいないって。悔しいやら悲しいやら、この子たちにとって頼れる大人は私一人だけなんだって、深く落ち込みました」
「長男か、それとも次男か」を選ぶことは、どれほど断腸の思いだったでしょう。次男に不憫な思いをさせるなんて、絶対にしたくなかったのに……。
午前中、有休を取って長男の式に参列した尚美さんは、午後は仕事をして、いつもの時間に帰宅しました。次男のために、“午後休”を取ることも叶わなかったのです。尚美さんの目の前には、教科書の入ったリュックサックを放り出し、寝転がっている次男がいました。
「どうしたの?」と問うと、次男はこれまで見たことがないような暗い表情で、こう答えました。「しゃべれる子がいない……」。
「何でそんなに、いつも落ち込んでいるの?」
1学期は何とか通いきったものの、2学期になってほどなく、担任から電話がありました。
「彼、言葉を発することがなく、心配しています。授業で当てられたときは話しますが、自分から言葉を発することがなくて、聞くと、『中学に入ってから、話すことが無くなった』と」
ショックでした。それからまもなく、「お腹が痛い」と言って、学校への行き渋りが始まりました。せめて、せめて……と尚美さんは願います。
「次男を『行ってらっしゃい』って、学校へ送り出してあげたかった。でも、それは勤務時間の関係で叶わなかったんです。たとえば18時まで働くから、始業を遅らせてもらえる、とか融通が利く会社だったら……」
世の中は、自己責任の社会です。こんな声が聞こえてきます。「勝手に離婚しておきながら、甘えるな」。あるいは、「次男のために、会社を辞めればいいではないか」と。
「勤めを辞めればいいと言われるけれど、息子たちはこれからお金がかかる時期ですし、食べ盛りです。正社員雇用じゃないと、無理なんです。私が新卒時に入社したのは一部上場企業だったので、結婚で辞めていなければ今、こんな状態ではなかったかもしれない。人生を失ってしまったんだ、と悔やみました」
周りを見れば、シングルマザーで、正社員で働き、子ども2人と明るく暮らしている友人もいます。彼女からはよく、こう言われます。
「何でそんなに、いつも落ち込んでいるの?」
尚美さんは声の限りに、こう叫ばずにはいられません。
「シングルマザーといっても、私、発達障がいの子どもがいるシングルだから!普通の、シングルではないんです。そこをわかってほしい。手をかけずに育つ子と、その子に合うレールを探して、そっちへ行けるようにどう導いてあげるのか。そのためには先生とのやりとりも密にしないといけないし、1カ月に1回は主治医の助言が必要で、そのための時間のやりくりも普通の子とは全然違います。どうして、そこが伝わらないのでしょうか」
命の危険を伴うネット依存に
一方、同じ発達障がいを持つ母親たちとは、障がいについて話を共有することができます。しかし……。
「大変な子育てなので、母たちは皆、落ち込んでいます。確かに障がいについては共有できるけれど、彼女たちは夫が主に働いているので、最小限に働けばよくて、当事者の集まりも平日の昼間にあります。そこでストレスを発散し、情報を教えてもらえるけれど、私はそこに行けないんです。あの人たちと私は違うんだな、という悲しさ。シングルマザーとも、発達障がいの親ともどっちつかず。当時のことを思い出すと、今でも悲しくなります」
中学1年の2学期まで普通に生活していた次男でしたが、学校に行かなくなると同時に、対人型オンラインゲームにハマり、瞬く間にネット依存に陥ってしまいました。
「全く食べないし、動かないし、パソコンをしたまま、意識を失って椅子から転げ落ちるように寝ていました。食べる間も惜しんでゲームを続けていて……。悔やまれるのは、私がパソコンにロックさえかけていれば、ここまでにはならなかったということです」
あまりの状態に、ママ友に協力を依頼し、担任が見守る中でタクシーで精神科を受診しました。脱水、低血糖、貧血が判明し、命の危険があるという主治医の判断で、次男はその場で保護入院となりました。
入院中はゲームができないと泣き叫び、食事を拒否したため点滴も施され、何とか身体的状況は改善しました。それでも外泊許可が下りると自室にこもり、再びオンラインゲームにのめり込んでしまいました。入院と外泊を繰り返し、結局、81日間の長期入院となったのです。
久里浜医療センターの入院を拒絶
尚美さんは、ネット依存治療に実績のある神奈川県の久里浜医療センターを受診させたいと思い、友人たちの協力で何とか予約を取りました。中学3年の11月、関西から神奈川県の久里浜へ次男を連れて行きました。
「横浜のみなとみらいの高層ホテルに前泊しました。夜景を見れば、気持ちが変わるんじゃないかと思って。私ももう、死んでもいいんじゃないかとだんだん思うようになって、ここでお金を使っちゃおうという気持ちもあって……」
久里浜医療センターでは検査を行い、主治医と心理士の面談がありました。これまで次男は、長男と同じ発達障がいの検査を受け、大丈夫という結果でしたが、ここでのさらなる検査の結果、長男同様、「広汎性発達障がい」であることが明らかになりました。
体力測定では肺年齢が60歳で、エアロバイクを漕ぐこともできず、入院加療が必要とされましたが、次男は入院を頑なに拒絶しました。実はこの時点で、担任の熱心なアプローチにより、次男は高校進学を決意しており、高校に通うならなおさら入院を勧められましたが、全て拒んで帰宅しました。
2月に合格した高校は、満員の地下鉄を乗り換えて、家から1時間という遠方にありました。久里浜医療センターに電話で合格を伝えたところ、主治医は次男に優しく諭してくれました。
「1週間でも10日でも入院して、プログラムに参加して、生活習慣を変えて、体力をつけてから学校に行きましょう。そうしたほうが、キミの未来が開けるんだよ」
それでも次男は頑なに入院拒否を貫きました。聞けば、最初の精神科への保護入院で、入院に対する恐怖感が大きくなっていたようです。せめて、最初の入院が久里浜だったらと、尚美さんは後悔します。高校通学にあたり、尚美さんや久里浜医療センターの嫌な予感は的中しました。
「コロナ禍でしばらく高校に行けず、分散登校でようやく行けたと思ったら、半日行って、次男は自分でダメだとわかって、『もう行けない』って号泣しました。そのまま、不登校、正真正銘のひきこもりになりました」
引っ越しで得た市のメンタルサポート
事態が動いたのは2年前、郊外の市へ引っ越してからのことです。
若者の就労支援事業は多くの自治体にありますが、その市には就労支援に行けない子たちのための「就労支援準備事業」があり、市から委託された団体が「メンタルサポート」事業を行っていました。
「メンタルサポートには各種イベントやプログラムがあり、『行きたい時だけ、来てください』と週1回の頻度で電話が入ります。次男はこれまでさつまいもの収穫や庭の手入れ作業などに数回参加し、定期的に面談を行って将来の方向性も一緒に考えてくれました。定時制高校の選択肢もあったのですが、いろいろ一緒に見学した結果、次男は他市の就労移行支援事業所への通所を希望しました。そのためには3回の体験プログラムが必要でしたが、次男はその3回のプログラムを10回以上もキャンセルしてしまいました。それでもメンタルサポートの方が調整してくれ、最終的に契約できるように動いてくれました。今では月に10日、オンラインでプログラミングのトレーニングも受けています」
これまでの経験とはあまりに違う流れに、尚美さんは驚きを隠せません。
「私は本当に何もしなくて、こんなに任せられるんだって驚きました。今までの自治体なら、自分ですべて調べなければならず、運よくサポート先を見つけても何カ月も待たされることが多かったです。次男のように完全にひきこもりになった者にとって、ここまで一人ひとりに手厚い充実したサービスがどれほど有難いか。正直、家族では担いきれません。自治体に救われました」
人は捨てたもんじゃない
尚美さんには、金縛りに遭うほど恐怖を感じるものがありました。それは、次男の未来です。
「私と長男以外、次男と関われる人は誰もいなくて、私が死んだら終わりだって、それが恐怖でした。自分が死ぬのはいいけれど、次男は誰ともつながっていないので、どうなるんだろうって」
一方、長男に関しては最近、強く思うことがあります。
「あの子は、『人は捨てたもんじゃない』とわかってきた。人は、悪い人ばかりではない。助けてくれる存在でもある。人ってあったかいって、今はちゃんと理解できています」
幼少期の、人との関わりを一切必要としなかった頑なさから、何という成長なのでしょう。長男に比べれば次男の世界はとても狭く、まだ他者との画期的な出会いはありません。それでも今、次男は支援機関につながりました。ケアワーカーのあたたかさの中で、少しずつですが前に動き出しています。
「今は私が死んでも、あの人たちと定期的に連絡が取れているから、何とかなるんじゃないかなって、だいぶラクになりました。自治体とつながることは、こんなに大きな安心感をもたらすのかと。私、今は何もしてないんです、ホントに。ただ、引っ越しただけで……」
話し終えた尚美さんは、顔を上げ、晴れやかに笑いました。そんな尚美さんの笑顔を見るのは、初めてかもしれません。
「私、やっと気がついたんです。私が楽しくしていればいいんだって。次男にはごはんを作る以外、何のサポートもできていないけど、それでいいのかなって思えるようになったんです」
絶望し、悲嘆に暮れ、涙、涙の日々でした。でも今、子どもたちが確かな気づきを尚美さんにくれたのです。「お母さん、笑っていて。他の子たちと違うかもしれないけど、僕たちのリズムで今は家族3人、生きていこうよ」と。
黒川 祥子(くろかわ・しょうこ)
ノンフィクション作家
福島県生まれ。東京女子大学卒業。2013年に『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で第11回開高健ノンフィクション賞を受賞。その他の著作に『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)などがある。
まとめ
絶望の中にあった家族が、少しずつ新たな希望を見つけ始めています。シングルマザーとしての厳しい現実と向き合いながらも、息子たちの成長や支援機関とのつながりが、家族にとっての光となっています。今後も、慎重に一歩ずつ、未来へと進んでいく決意を新たにしています。
参考
「お母さん、笑っていて」発達障がいの長男とひきこもりの次男をもつシングルマザーが絶望と涙の先に得た気づき(プレジデントオンライン) #Yahooニュース
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